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2008年6月19日 (木)

こんなこと言われた教育関係者ですが何か?

【余裕で受け止めなさい度:大】

無駄だらけの現代授業を最適化しよう - 高校生奮闘記

授業の最適化について捕捉 - 高校生奮闘記

授業には適度な無駄が必要である - 404 Blog Not Found

こんなこと言われていていいんですか?教育関係者のみなさん

こんな記事を読んだ。高校生が意見を積極的に発信できる環境は素晴らしい。こんな記事が飛び出たり、アルファブロガーの小飼弾氏がトラックバックしたり、釣りのようなトラックバックがついたりと、なんともエキサイティングな時代だ。チャレンジ環境が少しずつ整ってきているのだろう。

 さて、高校生奮闘記であるが、いかにも高校生らしい主張だと感じた。ある意味、昔の自分を見ているようで楽しくなってくる。冒頭を引用してみる。

そもそも現代の授業形態(学校だけじゃないよ、塾もね)というのはパソコン、もっといえばインターネット登場以前に最適化されているわけだから、今の高校生(俺だけじゃないと思う、ある程度パソコンを使いこなしている層ならみんなそう思うと思う。)の思考からすると『もっとこういうことしたらええやん』とか『これ無駄やん』とか思うところがたくさんあるのも当然なのだろう。

この記事に対して、小飼弾氏はこんな事を書いている。

だが断る。
なぜなら、学習というのは、玉石混淆の場から、玉を拾っていくという行程だからだ。
そこに玉だけおいておいてなんとする。

小飼弾氏らしい書き出しだ。

 さて、私立高校教師の目線で気がついたことを書いてみる。

1.現代の授業形態が最適化されているってどういうこと?

 授業形態がパソコン登場以前に最適化されているって、どういうことだろう?

  • いわゆる「デフラグ」に相当する事を考えているのなら、全く持って間違いである。

 学校の授業内容は、文部科学省と教育業界に影響力のある素人にいつも振り回されている。いわゆる「ゆとり教育」などは記憶に新しい。感覚としては、大変な状態になって渡された教育の大枠を、教育現場にフィットするように授業を改良(正常化?)している状態だ。

  • 「プログラムにおける最適化」やいわゆる「最適化問題」に相当する事を考えているなら、自己中心的である。

 そりゃそうだろう。授業の中心はアナタ一人ではない。自分にとって最適の学習環境だから、他の生徒にとっても最適な学習環境であるという主張は無理がある。同じ教室にいるほかの生徒は、アナタのクローンではないのだから。

 また、教育環境は多様である。教員、生徒、道具、科目、時間、年齢、時代など、多くの要因がその授業に影響する。ある特定時点での授業が素晴らしいものであっても、次の別の状況では最悪の授業になる事だってある。

  • 授業を提供する環境、または授業を受ける環境が最適化されていると考えるなら、教育は衰退する。

 道具を教員目線で考えてみる。教室授業の場合、使っている道具はチョークや黒板である。実はこれも進化している。ダストレスチョークやアレルギー対応のチョークもある。また、黒板の色が黒から深緑に進化し、黒板に使われる材料も変化した。現在では、暗線入りの黒板もある。これらは技術革新だから、今後も進化していくだろう。

 実習系の授業であれば、道具は多種多様である。体育実技であれば、新しいスポーツが登場すれば、道具も当然新しい。また、安全に扱える道具の開発は続けられるだろう。いわゆる理科の実験で使う道具は、とんでもなく多い。中にはアスベスト付き金網のように、代替が必要なものも存在する。

 道具を生徒目線で考えてみる。基本的な道具である筆記用具も格段と進化している。書くことに注目するだけでも、鉛筆・シャープペンシル・色ペン・蛍光ペンなどがあり、中には人間工学に基づいて作られているものもある。ノートも耐久性や視認性の高いノートに進化しているし、様々な罫線が印刷されているノートも多く存在する。

 科目独自の道具もある。外国語の学習で必須なのは辞書である。昔は紙製の辞書しかなかったが、CD-ROM付きの辞書とか、絵が豊富な辞書とか、例文が豊富な辞書とか、紙媒体でも多くの工夫がなされている。また、電子辞書の登場も重要だ。利用者の検索履歴を残す機能や、発音機能搭載の電子辞書もある。

 つまり、教育環境と教育とステークホルダーは常に変化しているのだ。授業形態が最適化されたという主張は、進歩しないと同義である。よって、教育は時代に取り残され、衰退するだろう。

2.小飼弾氏の「だが断る」について

 ごもっとも。「玉石混合から玉を拾い出すトレーニングを積んでいない社会人を相手にするのは断る」という意味だろう。小飼弾氏が教壇にたったらという仮定の話ではないようだ。

3.「こんなこと言われていていいんですか?教育関係者のみなさん」について

 いいじゃないですか!高校生に言わせてあげましょうよ!

 むしろ、こんな事を言わせておいて受け止めるぐらいのオープンスタンスでないと、教員はできないと考える。生徒からの提案を授業で生かすぐらいの柔軟性が教員の技量と言っても良い。

 この記事のタイトルは、教育関係者向けの釣りとしてよくできていると思う。技量の無い教員や経験の少ない教員、勉強しない教員であれば浮き足立つかもしれない。技量があったり、経験が豊かであったり、勉強熱心な教員であれば、余裕で受け止められるだろう。試金石としてこの記事は価値があると考える。

4.一応、「こんなこと言われて~」に余裕で釣られてみるwww

 授業に関して私が実践している事を書いてみる。だが、何のことは無い。教員として自己投資(≒勉強)しているだけである。不勉強な教員の授業を受けても勉強にはならないと考える。自分だったら、不勉強な教員の授業は退屈だと考えるからだ。再度、元ネタのから引用してみる。今回は結論部分。

もっかい言うけど、授業っていうのはノートを写すもんじゃない、もっとエキサイティングな知的体験のことを言うんだと思う。

 力量が違う教員の場合、話を聞かせてノートに写させるだけエキサイティングな知的体験をさせることも可能だ。新しい概念に触れるだけでも十分エキサイティングな知的体験である。例えば、行列の積は交換法則が成立しない事や数学的帰納法という証明などである。また、教科内容を通して伝える事も多くある。数学の授業を通して、数学と情報技術の関係を教えることや、様々な考え方を教えることも可能だ。引き出しの多さが教員の力量と言ってもいいだろう。

 ところで、板書をノートに写すことを授業とは言わない。何も考えずに板書をノートに写すことは「リアルコピペ」である。愚痴が出るのはアタリマエ。生徒が自分の意思で自分にとって必要な事をノートに書くから知的体験となるのだ。

5.まとめ

 元ネタの記事には多くのコメントやトラックバックがつき、色々と盛り上がっているようだ。全体を眺めた感じでは、各個人の教育体験と教育観が入り乱れている感じがする。当たり前の話だが、教育は千差万別である。よって、この手の話はまとまらないというのが、この記事のまとめ。
┐(´ー`)┌ ヤレヤレ

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