子供の成長記録(8ヶ月)
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「日本情報科教育学会誌(創刊号)」送られてきた。内容は「依頼原稿+活動報告」で、幅広いジャンルが扱われていた。執筆者は大学や大学院の教授、文科省の方、教育研究機関の方である。今後は高校教員の記事が載るのだろうか。
さて、気になる事が1つ。
・高校の先生方にも科研費がついているので、アピールすればよい。
(2007年度第2回理事会・評議会議事録(通算2回目) 会場からの発言 P.52右段11行~12行)
高校教員にとって科研費は馴染みが無い。どちらかといえば、科研費で具体的に何が出来るかをアピールして欲しい。科研費のサイトを見たが良く分からなかった。
極めて個人的な感情を一つだけ。創立当初から会員である事が少々嬉しい。
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【過度な期待は禁物度:大】
数学の授業を担当するときは、ある種の安心感がある。担当以前の履修内容が安定しているからだ。新入生相手の授業では、「放物線 y=ax2」や「三平方の定理」を知っている前提で話が出来る。数学の授業ではアタリマエすぎて恩恵が感じ取れないかもしれないが、こんな前提は教科「情報」では皆無に等しい。
著作権の授業であっても、高校入学以前の履修状況は不安定である。小学校や中学校の著作権教育は気になりつつも、授業を展開しているのが現状だ。田中先生の勤務校でのアンケートによると、124名(66%)の生徒は高校で著作権に初めて触れたそうだ。以下引用。
約70%の生徒が、ある程度時間を取って著作権について学んだ機会が中学校までになかった。(あるいは、なかったと感じている)
ということだと解釈できます。これは、ディジタル化が進んだ世の中でゆゆしき問題ですよね。
小学校・中学校で、もっとがんばってもらいたいです。
私は少し違う印象を持った。
1.由々しき問題である理由は、「高速ネットワーク」が整備されたから
デジタル化の与えた影響は大きい。文字情報がコンピュータやワープロで扱えるようになったが、著作権には大きな影響は無かった。CD(デジタル音源)や、LD(デジタル映像記録媒体)は音や映像のデジタル化だったが、再生しか出来なかったので著作者に与えた影響は少ない。大きな影響を与えたのはMDだ。著作物の私的利用は著作権の権利制限であったのだが、私的録音補償金制度によって補償金が著作者に分配される事になる。これらの事象は情報の流れが非対称であり、高校生が著作権を学ぶ意義としてはあまり大きくない。
本質は「デジタル化&高速ネットワーク」による一億総クリエーター&プロデューサー時代になったからだと考える。多くの人が文字や画像、音源、動画を創作し、二次創作し、インターネット上で発表している。多くの人がそれらの創作物を見聞きしている状態でもある。以前と比べ、多くの人が著作権者になりうるし、著作権侵害をする・される可能性も圧倒的に高い。これらの事象は情報の流れにある程度の対象性があり、高校生が著作権を学ぶ意義があると言える。情報社会の基礎知識の一つが「著作権」という時代なのだろう。
2.小学校・中学校はどのぐらい頑張れるか?
私も「小中学校でも多少は著作権を扱って欲しい」と考えていたが、最近になって「小中学校で『著作権』という言葉が登場すれば御の字」と思うようになってきた。
理由はいろいろあるが、簡単に言うと、小中学生には著作権が抽象的すぎると感じるからだ。
著作権は無体財産権(≒物がないのにアナタの財産)であり、許諾権的性質を持っている。こんな抽象概念を小中学生は理解できるのだろうか。著作者人格権(特に同一性保持権)・文化振興・経済財のバランスも重要なポイントだ。文化振興や経済財は理解できるのだろうか。これらの関係性についてはどうだろうか。疑問が多い。
小中学生が理解できるのは著作者人格権が限界で、取り扱いは情報モラル教育(≒道徳教育)の1テーマになるのだろう。教科が設定されておらず、教科書も無く、教員の個人技に頼っている事(ココは推測)を考えると、教育内容の安定性を期待する方が無理といえる。公立であれば人事異動があるので、なおさらだ。
3.ところで
音楽に興味を持っている生徒がJASRAC嫌いを通じて著作権を知っている、という現状ってどうなのよ?
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【あれれ?度:中】
田崎先生のブログ(他教科と教科「情報」のクロスしているところ)で情報教育がらみの問題があることが紹介されていた。せっかくなので解いてみた。簡単にコメントしてみる。
政治経済 第2問
現代社会 第3問
4.知的所有権は、それが保護している対象がコンピュータソフトのように複製や模倣が容易のものが多く、権利侵害に対して脆弱な面を持つだ。問題文には「最も適当なものを選べ」とあるからこれが正解ではあるのだが、疑問が残る。複製や模倣が容易なものが多いだろうが、コンピュータソフトのように容易なのだろうか。また、権利侵害に対して脆弱な面とは具体的に何をさしているのか不明だ。
上記の出題を踏まえると、教科「情報」の内容と重複する分野ではあるが、「情報」と「公民」で異なる基礎知識を提示してしまう可能性がありそうだ。違ってしまう事は「悪」では無い。むしろ多面的な見方があることを教えるチャンスと考えることも可能だ。まあ、何でも教材にしようとする教員の悪い癖かも知れないが・・・(゚ー゚;
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【出身学部を思い出した度:大】
大学入試の一大行事であるセンター試験が終わった。仮にも現役数学教師(本当だってば!)なので、数学1・A、数学2・Bを解いてみた。簡単にコメントしてみる。
数学1・Aについて
全体的に平易な問題。3大予備校の予想平均点も63点(河合)、68点(代ゼミ・駿台)と高め。問題が易しすぎるとか、最近の学力低下に迎合しているなどの指摘もあろうが、それは筋違い。よく知られている理由は3点。
数学2・Bについて
【第5問(統計とコンピュータ)と第6問(数値計算とコンピュータ)は解いていない。】
序盤の難易度設定、最初の問が間違えると全滅する問題構成、目標不明の出題、時間軸を考慮したとは思えない計算量など、疑問が多い。3大予備校の予想平均点も49点(河合)、48点(代ゼミ・駿台)と低い。とは言っても、強引に目的を解釈できない事も無い。以下、3点を紹介する。
まとめ
現場の教員には釈迦に説法だが、あえて確認。
現場の教員から見れば、センター試験は一教材に過ぎない。センター試験という有名なネタを通じて、何を教えるかが重要なポイントだと考える。
「マークシートが良いの悪いの」という表面論は門外漢のすることだ。まあ、その門外漢の発言が教育現場を振り回す現実には辟易するのだが。ε-( ̄ヘ ̄)┌
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【MTG、「趣味のメタゲーム」度:大?】
MTGが文化へ成長するための一助になればよいと考える。
MTGは非電源系対戦型卓上ゲームである。しかし、世の中はMTGを文化としては見ていないと感じる。その理由は何か。ソリューションは何か。以下、日本でお馴染みの非電源系対戦型卓上ゲームである将棋・囲碁との比較という手法で簡単に考えてみる。
<注>完全情報ゲームである将棋・囲碁と不完全情報ゲームであるMTGを比較しているが、本記事において本質的ではない。</注>
1.歴史の比較
将棋や囲碁の歴史は長く、MTGの歴史は短い。歴史が短ければ流行で終わる事もある。文化へ成長するのに時間が必要なのは論を待たない。
2.競技人口の比較
MTGと将棋・囲碁のソースが違うので単純な比較は出来ないが、MTGと囲碁・将棋とでは「0」が3つ違う。レジャー白書は「1年に1回以上将棋を指す/囲碁を打つ15 歳以上の人口」を推計している。このことを差し引いても、桁が3つ違う世界だ。競技人口が多ければ認知度は高くなる。
将棋や囲碁の競技人口が百万人単位で減少しているとの指摘は正しい。レジャー白書2008によれば2006年の競技人口は将棋で770万人、囲碁で360万人と推計されている。1年間で競技人口は将棋で110万人減、囲碁で120万人減である。MTGの競技人口が100万人減少したらMTGの市場やコミュニティが滅びてしまう。
3.運営組織の比較
WotCやタカラトミーは会社、将棋連盟は社団法人、棋院は財団法人。WotCやタカラトミーが運営している限り、営利目的なのは当然である。一方、社団法人や財団法人は非営利法人であり、将棋文化や囲碁文化の振興が目的である。「営利」と「文化振興」では文化と認知されるかどうか、違って当然なのだろう。
もちろん、各運営団体の財務状況が健全かどうかは別問題だ。利益については「かなり久し振り」で将棋とMTGを比較した簡単な解説がある。(別件だが、リンク先のブログあさがおさん観察日記はアクセシビリティが低いと感じたのは私だけか?)
4.対戦環境の比較
オンライン対戦について。Magic Onlineは専用ソフトが必要で有料だが、Magic Workstationといった無料ソフトもある。ネット将棋やネット囲碁は基本的に無料である。初心者の参加しやすさは有料よりも無料の方が良い。
学校の部活の有無について。MTGが学校の公式な部活として認められている事例を聞いたことがないし、あったとしてもレアケースであろう。大会だが、以前は高校選手権やジュニア選手権、U-18トーナメントが以前は開催されていた。今は行われているのだろうか?学校にはMTGを部活として認めていることはほとんど無いだろうし、MTGの腕に覚えがある教員が顧問をするなんて神話レアの出現確率より低い。(私はレーティング1600~1700の教員である。そして勤務校にはゲーム関連の部活はない。(´・ω・`)ショボーン)
将棋や囲碁は学校においてはマイナーな部活かもしれないが、部活として公認された存在だ。都道府県の文化連盟には将棋部会や囲碁部会があり、高校生としての公式大会として認められている。部活として参加すれば欠席扱いはされない。将棋や囲碁の腕に覚えがある教員はどの学校にも一人ぐらいはいるし、その教員が顧問をしているのだろう。
<極めて個人的な見解>
いわゆる軽音楽(ロックやJ-POP)やストリート系ダンスなどが文化へと成長するにしたがって、学校現場でも正式な部活動として認知されてきている実態がある。事実、各都道府県高校音楽連盟の存在や、新聞報道(5) 路上ダンス 礼儀も磨く(読売オンラインの教育ルネサンス)といった形で認知されている。
学校の部活の有無が重要なポイントだと感じるのは、私に教員バイアスが入るからだ。しかし、学校に部活があるかどうかは、(例外はあるにせよ)文化としての成長度を示す一つの指標にはなると思う。
</極めて個人的な見解>
5.プレイヤー育成環境の比較
ここでは礼儀作法やルール、定石の習得に注目してみる。決定的違いは各種教室、特に初心者教室の存在だと感じる。
MTGには継続した初心者教室が存在しない。MTGプレイヤーは礼儀作法やルール、定石をどこで習得したのだろうか。友人とプレイしていて自然に覚えたり、各種ブログ記事を読んだり、トーナメントに参加して経験を積んだり、将棋や囲碁のそれを拝借したのではないだろうか。かつてアリーナリーグが初心者教室として機能していたが、現在は休止しているようだ。アリーナリーグの後釜であるコロッセオはお店で友達と遊びながらカードも貰っちゃおう!
が趣旨なので、初心者教室としての機能は無い。コロッセオの評価はともかく、趣旨を理解した記事が小さな事からコツコツと(今更ですが)にある。
将棋や囲碁には有段者による各種教室があり、礼儀作法やルール、定石の習得など、将棋指しや碁打ちを育成する環境が整っている。(環境が整っているにもかかわらず競技人口が減少しているとの指摘は正しいが、打つ手を打っているという点を評価したい。)
細かい事かもしれないが、専門用語絡みで少し触れておく。
初心者から見た壁の一つが専門用語である。優先権やスタックなどの基本的なマジック用語は初心者には難しい。「バウンス」や「CIP」といったスラングや、「ラス」や「ヒッピー」といった俗称も慣れるまでは時間がかかる。今でこそMTG Wikiがあるが、Wikiなので信憑性は推して知るべし。MTGには公式ハンドブックであるが、エキスパンション発売前の執筆なのでカード評価は安定しない。
将棋は駒の動かし方を覚えるのに時間がかかるがルールはMTGほど複雑ではない。囲碁は勝敗判断が初心者にとって難解ではあるが、ルールはMTGほど複雑ではない。将棋や囲碁の用語には一般的に使われている言葉もあり、馴染みやすさもある。「王手」や「持ち駒」は将棋用語、「傍目八目」や「捨て石」は 囲碁用語だ。将棋や囲碁には関連書籍が豊富にあることも見逃せない。
6.礼儀作法やルール、定石の習得
1.~5.の比較とは別に、礼儀作法やルール、定石の習得について。私がとやかく言うよりも、参考となる先行記事を紹介する。(自分が知る範囲で紹介)
(1)礼儀作法に関する先行記事
日本語訳は公式書類ではないものの、Judge Handbook 日本語版(pdf) (MJMJ.infoより)にはDCI懲罰指針・手順書がある。
自分の知っている、礼儀作法に関する記事は少ないが紹介してみる。
(2)ルールに関する先行記事
テクニカルな意味でのルールに関する記事は認定ジャッジが様々なサイトやブログで展開している。よくある質問から一般プレイヤーの頭が痛くなるような質問まで答えてくれる。例えば、次のような問題に対しても懇切丁寧な解説が紹介されている。
私は
《樹上の村/Treetop Village》
《謙虚/Humility》
《ムラガンダの印刻/Muraganda Petroglyphs》
と、その他基本土地をコントロールしている。
私は《樹上の村》の起動型能力をプレイし、自身をクリーチャーにした。
3-1)《樹上の村》のP/Tはいくつになるか?
3-2)また、《樹上の村》はトランプルを持っているだろうか?
ルールで疑問があるときは、私はcloset belief 2やMJMJ.info、カード破産への道を参考にしている。他にも解説サイトや開設ブログは多数あるのだろう。
また、広い意味でのルールに関する記事もある。自分の知っている記事を3つ紹介してみる。
(3)定石に関する先行記事
フォーマットを問わず、定石の解説はMTGプレイヤーやジャッジのブログなどで多数語られている。メタゲーム論や構築論、ドラフト論、シールド論、戦術論、精神論、エキスパンション分析など多岐にわたる。また、Braingeyserというサイトや、マジックで良くある過ち、勝ちに行くための10の心得(2本とも_より)といった翻訳記事もある。これらの先行記事は示唆に富んでおり、MTGプレイヤーなら一読の価値はあるのだろう。マジック:ザ・ギャザリング公式ホームページ(2009年1月1日からウィザーズ・オブ・ザ・コースト社のウェブサイトへと移管・統一される)にはトッププレイヤーによる公式コラムも存在する。
6.MTGが文化へと成長するために
経験値が少なくレーティング1600~1700の私が思いつくままにリストアップしてみる。当然、内容の妥当性は吟味が必要だ。
(1)プレイヤーが今から出来そうな事
思いつくままに叩き台をリストアップしてみる。
(2)店舗や大会に提供できるアイデア類
店舗の事情や大会運営の事情は良く分からない。役に立たない事を承知の上で思いつきをリストアップしてみる。
(3)WotC社やタカラトミー社にやって欲しい事
WotC社やタカラトミー社の事情は分からない。財務状況、人的資源、各国の経済状況、為替レート、各種契約、WotC社とタカラトミー社の関係、会社と国内のカードショップとの関係、会社とバイヤーとの関係など、大人の事情は様々だろう。だが、プレイヤー目線で希望をリストアップしてみる。
外部のスポンサー企業を呼び込んで協賛金などの提供を頂く(かなり久し振りより)
時代を読んだ経営を期待したい。釈迦に説法ではあるが、レジャー白書2008の一節を紹介する。
参加率は低下
余暇活動種目への参加率・年間平均活動回数・年間平均費用などの主要指数の水準変化を調べたところ、この10年で9割の種目が参加率の水準を落とす一方、年間平均参加回数の上昇した種目は6割にも上っている。つまり、”好きな種目にはいっそう盛んに参加する一方で、関心の低い種目への参加率は控える”-いわば余暇活動の選択投資化の傾向がはっきりと認められる。
「選択投資型余暇」の時代へ
むろん余暇活動の”絞り込み”の背景には、個人消費の冷え込みや時間的ゆとりの喪失も影響していよう。しかしそうしたネガティブな要因だけでなく、消費者が関心の高い活動を主体的に選択し、時間やお金のレジャー資源を投資する「選択投資型余暇」への動きが無視できなくなっている。こうした消費者の志向の変化に注目した需要開拓戦略の転換が求められる。
(レジャー白書2008 巻頭要約より)
選択投資型余暇の時代であれば、様々な趣味が限られた競技人口を奪い合う擬似的なゼロ和ゲームと考えてよいだろう。選択投資的な動きをする傾向が強いので、MTGへの関心が低くなった層を呼び戻すのはとても大変な事だ。今回スタンダード落ちした「時のらせんタイムシフトのカード」121枚の効果はどうだったのだろうか。情報開示が待たれる。
7.オチ
野次馬 「で、直近の戦績は?」
PWC 0-3-0 Drop
( ゚д゚)、;'.・グハッ
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【話題盛り上がり度:大?】
情報科に関する現場教員のブログでは、情報科の高等学校指導要領ネタで盛り上がっている。そんな中で気になる話題が一つ。
各科目にわたる指導計画の上作成と内容の取り扱い
1 指導計画の作成に当たっては,次の事項に配慮するものとする。
(3)各科目は,原則として,同一年次で履修させること。
(高等学校学習指導要領案(PDF)より)
「同一年次で履修」の是非はともかく、履修年次は各学校に任せればよいと思う。学校の設備、教員の力量、専任率、校風、生徒の状況な学校によって様々である。特に私学は教育の方向性が統一されていないので、ヘタな縛りは邪魔でしかない。
1単位に分割したときのメリットを考えてみる。
「分割履修の方が、復習が出来る」については、辰己丈夫氏のブログでも同様の指摘がある。
「各科目は,原則として,同一年次で履修させること。」とあり、高校1年生で1単位、2年生で1単位という受講方法が原則禁止された。生徒指導と密接に関連する「情報モラルの涵養」を考えると、むしろ高校1年〜2年の2年間をかけて学ぶ方がよっぽどいいのに、何故だろうか。
ここで扱う「情報モラル」は、いわゆる情報社会特有のモラル教育のことであろう。情報社会は秒進分歩の勢いで変化している。当然、高等学校における生活指導の変化も激しい。2年間をかけて情報社会の変化も踏まえなければ、「情報モラルの涵養」は机上の空論になってしまう。この意味で辰己丈夫氏の指摘は正しい。
そして、無視できないデメリットがある。
これ以外に、田崎氏のブログではもっと酷いデメリットが指摘されている。
まぁ原則なので例外はあるね、ということですね。でも、カリキュラムの調整弁として分割にさせられるとかは勘弁です。私はそれで560人受け持つことになって体調崩しましたし、とある学校では1年と3年の分割とか調整弁の見本のようなカリキュラムになっています。
自分も情報を500人近く受け持った経験がある。授業では体調を崩さなかったが試験の採点は大変であった。これをキッカケに国語科や地歴科、公民科の試験問題を参考に作問するようになった。自分の意識改革には十分すぎる体験だったと思う。でも、500人は勘弁して欲しい。(;ω;)
カリキュラム作成は各教科の思惑が入り乱れるのが世の常だろうが、調整弁目的は無しにして欲しい。カリキュラムの調整弁として情報科を使った教員が、「情報科でちゃんと情報モラルを教えないとダメじゃん」と言い出すマーフィーの法則(*)も無視できない。ヤレヤレである。┐(´-`)┌
(* マーフィーの法則については21世紀版 マーフィーの法則を参照)
こんなことを書いていたら邪推したくなる提言を発見してしまった。
「情報」の最初の必履修科目を1年次に置き,受験勉強とは無関係に学習を進められるように配慮する。
(高校教科「情報」未履修問題とわが国の将来に対する影響および対策 の【概要】より)
要するに、1年次2単位ってことデスカ?∑(=゚ω゚=;)
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【小さな一歩を感じる度:小】
2008年(一部2007年)のアフィリエイトレポを上げてみる。
1.Google AdSense(クリック報酬型)
2.Amazon アソシエイト(成果報酬型)
(2007年のAmazon アソシエイト紹介料は¥16-)
この数字を見る限り、私はいわゆる「レイトマジョリティ」ですな。(゚ー゚;
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